先日出た『アメリカ史研究』45号に掲載された石山徳子さんの「人新世のナラティブとアポカリプスの日常」が射程の広い話だと話題ですが、そこでのキーワードが「セトラーコロニアリズム」です。これはアメリカでも流行している概念で、今年のOAH大会では大会の趣旨にも掲げられ、幾つもパネルが組まれていました。セトラーコロニアリズムは、オーストラリアの人類学者パトリック・ウルフが唱えた概念で、「新しい土地に入って来た入植者が、その土地に先住していた人々の存在を抹消し、不可視化していくプロセスであり、そうした歴史から生まれる人々の思考と社会の構造を指す」とされています。現在、アメリカ史の発展を批判的に見直そうという潮流の代表格となっています(週末のアメリカ史学会でもパネルが組まれます)。
しかしながら、やや初期アメリカ史、特に植民地時代史では歓迎して受け入れられているとは言えないように思います。2019年にWilliam and Mary Quatrterlyでセトラーコロニアリズムの特集が組まれた時も、巻頭言でジェフリー・オストラーとナンシー・シューメイカーは、初期アメリカ研究には同概念を用いた研究はあまり見られず、研究者の同概念の受け入れは「緩慢」ないしは「戸惑い」だと言います。こうした姿勢は批判されるかもしれませんが、ただこれは初期アメリカ史(特に植民地時代史)が保守的だからというわけでは決してなく、この分野特有の事情があります(ちなみに建国期では大いに重視されています)。
すでに植民地時代史では、公民権運動を経て、1970年代にかなりヨーロッパの植民活動を「征服」として先住民の社会を一方的に破壊していく過程だとする主張がなされました。その筆頭はフランシス・ジェニングスですが、そのほかW.T.へーゲンなどによっても強く主張されました。彼らの議論は日本でも富田虎男さんなどによって紹介され、翻訳もかなりなされています。その結果、ジェニングスの使っていた「(入植者による先住民の)清掃(エスニック・クレンジング)」という言葉は、『「他者」との遭遇』(青木書店)のような概説でも使われるようになりました。初期アメリカ史では、すでにある程度「セトラーコロニアリズム」は浸透していたわけです。むろんだからこそ顔を背ける研究者が多いことをジェイムズ・メレルらの先住民史研究者は厳しく批判しましたが。
しかしながらジェニングスらの議論にはバーナード・シーハンやジェイムズ・アクステルらの先住民史研究者からも、やや断罪論になっていて、ヨーロッパ人−先住民関係の実態や先住民の主体性を丁寧に見るべきではないかとの批判もなされました。むろんこうした議論にも批判はされましたが、1980年代から(ジェニングスも重要な役割を果たします)90年代には先住民はヨーロッパ人の侵略で一掃されたのではなく、新たな集団形成(エスノジェネシス)やヨーロッパの技術・思想の吸収、外交戦術の駆使などによって、少なくとも独立までは従来考えられていた以上に自立を確保していたと論じられるようになります。有名なリチャード・ホワイトの「ミドルグラウンド」は、こうした先住民のレジリエンスを前提にして、ヨーロッパ人との関係性を見直す概念であるわけです。こうした潮流が発展・定着したのが現在の状況であり、ゆえに研究者は外部から入ってきたセトラー・コロニアリズムに対して「戸惑って」いるのです。実際、上記のWilliam and Mary Quatrterlyの特集の巻頭言でも、オストラーとシューメイカーは、入植者の暴力はあるとしても、実証的な研究に基づく「近年の初期アメリカの先住民史と入植者ー先住民関係史は、いかに先住民諸政体の政治的・経済的パワーが持続していたか、またヨーロッパ人の北アメリカ大陸支配の進行がいかに緩慢で、脆いものであったかを強調している」と述べています。こうした認識には、厳しい対立や緊張も含みながら、長きにわたって発展した初期アメリカ史の学問的状況が背景にあるわけです。
ただし上記の巻頭言でも書かれているように、セトラーコロニアリズムの問題提起は深く受け止める必要があることは間違いありません。実際、ミドルグラウンドがヨーロッパ中心主義的で、もっと暴力や対立に目を向けるべきという批判も以前からなされています。おそらく、植民地時代について研究者の中で最も真剣にセトラーコロニアリズムの問題提起と向き合ったのは、ダニエル・リクターの次の論文だと思います。ぜひお読みください。
Daniel K. Richter, “His Own, Their Own: Settler Colonialism, Native Peoples, and Imperial Balance of Power in Eastern North America, 1660-1715,” in Ignacio Gallup-Diaz ed.,
The World of Colonial America: An Atlantic Handbook, Routledge: New York and London, 2017.
この表紙は1710年にイロコイ五部族連合の代表が(実態はマヒカンなどの小部族の代表)軍事協力の要請でイギリスを訪問したときのもの。イギリスでは彼らは世間に狂騒を起こし、数多くのイラスト、絵画が描かれました。コリーは『虜囚』でこの絵の分析を行なっています(植民地人=セトラーとイギリス人=帝国との先住民認識の違い)。
(森)
いつもながら大変勉強になるポストありがとうございます。私は運営委員にもかかわらず濃厚接触者の自宅待機で学会に参加できなかったのですが、森先生は台風の中ご参加できたでしょうか。
返信削除今時のセトラー・コロニアリズムのブームとその中での初期アメリカ研究者の立ち位置のジレンマは私も常々感じており、それをとても上手く言語化してくださったと思います。ミドル・グラウンド以降積み重ねられてきた蓄積を前にしてセトラー・コロニアリズムを前面に打ち出すと、どうしても議論を単純化してしまうような危険性がつきまとう感じが感じられます。昨今の議論は、過去の入植の実態というよりも、現在まで続く社会経済的・文化的双方の先住民の不可視化や抑圧のプロセスとして重要であるようにも思えるので、そこも初期アメリカ史と折り合いが悪い一因かと思います。他方、暴力に加えて、キーワードの一つである土地をめぐる植民地主義というのは大事な論点だと私も思います。Alan GreerのProperty and Dispossessionの議論等、とても面白い重要なものだと思います。
最後に紹介してくださったRichterの文献も読みたいと思います。Amazonで見たらあまりの高額で驚きつつ、大学図書館にたまたま所蔵があったので、自宅待機が明けたら借りに行こうと思います。
鰐淵さん 勇気づけられるコメント、非常に嬉しく思います。実は学会があることを失念しており、当日に(娘がコロナになっていけなくなった)旅行を入れてしまい、参加できなかったのですが、結局台風でどっちにしろ参加できなかったというグダグダな結末です。野口さんに謝りました。しかし当日の議論が気になってしょうがないです。Twitterでの感想を見ると、セトラーコロニアリズムの限界とか時代と事実の緊張とか、色々あってどうだったのだろう。
返信削除>昨今の議論は、過去の入植の実態というよりも、現在まで続く社会経済的・文化的双方の先住民の不可視化や抑圧のプロセスとして重要であるようにも思える
その通りですよね。決してセトラーコロニアリズムの意見には反対しないのですが、歴史を考えるとどうも違和感がある。もう少し歴史の展開は複雑で、偶然や諸アクターの思惑などいろんな要因が作用してながら(もしフランスが撤退しなければとかイロコイが土地を売らなければ、とか)、次第に「セトラーコロニアル」が支配的になっていたのではないか。その辺りの最初の段階を今度の論集で書いたつもりです。