9月にペッカ・ハマライネンの新著『先住民の大陸』が出版されるということで、ニューヨークタイムズで特集記事が掲載されました。
https://www.nytimes.com/2022/09/20/arts/indigenous-continent-pekka-hamalainen.html
ハマライネンはコマンチ帝国やラコタに関する非常に優れた研究を行なったことで知られる初期アメリカ先住民史の最重要な歴史家です(テイラーの『先住民vs帝国』の中西部の情報は多くハマライネンが情報源です)。フィンランド人という点も興味深いですが(Max Edling=スウェーデンなど、なぜか最近の初期アメリカ史は北欧の人が多い)、中西部史全般について従来の学説を大きく転換した第一人者の一人であることは間違いないありません。そのハマライネンがヨーロッパ人の北米到来以後の400年を論じたのが本書で、非常に注目すべきでしょう。https://wwnorton.com/books/9781631496998
ニューヨークタイムズの記事は、ハマライネンの本に限らず、先住民史ひいてはアメリカ史全体の見直しに関わるもので、非常に刺激的な記事となっています。研究者の批判もしっかり載せていて、さすがという感じです。以下、拙訳を載せておきますので、興味のある方は是非ご覧ください。セトラーコロニアリズムについてもハマライネンは触れています。元の記事は写真や絵も出てくるので、お時間のある人は是非そちらを。
ニューヨークタイムズ、2022年9月20日
一人のフィンランド人学者が、われわれがアメリカ史を見る目を変化させることを期待している
『先住民の大陸』でペッカ・ハマライネンは、先住民と先住民のパワーを中心に置き、アメリカ史のグランドナラティブを転換させることを考えている。
ジェニファー・シュウェッスラー
By Jennifer Schuessler
アメリカ人ならば、リトルビックホーンでアメリカ軍を撃退したラコタの戦士、クレイジー・ホースや、ネズパースの指導者で、強制移住に対する雄弁な抗議が今でも名高いチーフ・ジョセフの話を知っているであろう。
しかし、どれほどの人が1680年にスペイン人をニューメキシコから追い出す反乱を率いたプエブロの宗教指導者、ポパイPo’payの話を知っているだろうか。あるいは、1710年にペンシルベニア総督と巧みに交渉し、入植者殺害の罪で訴えられた部族民の命を助けたショーニーの首長、オペカOpekaはどうだろうか。
彼らの物語は、フィンランドの歴史家ペッカ・ハマライネンの圧倒的な新著『先住民の大陸:北アメリカをめぐる壮大な戦いIndigenous Continent: The Epic Contest for North America』に掲載されている多くの物語の一つである。そして、彼らは瞬間的に表舞台に現れるものの、ほとんど脚注には記載されることがない。
リバーライト社から火曜日に出版された『先住民の大陸』が目的としているのは、先住民族を犠牲者としてではなく、歴史の流れを大きく形作る強力なアクターとして描き、アメリカ先住民――そしてアメリカ人の――歴史の物語を書き換えることに他ならない。
コマンチやラコタに関して高く評価されている歴史書を執筆したオックスフォード大学のハマライネン教授は、先住民が銃、病原菌、資本主義の猛威の犠牲になるのは避けがたいという「(消えゆく)運命にある」インディアンというフレーズに異議を唱えた最初の学者というわけではない。しかし、彼はこの議論をさらにおし進めている。
ヨーロッパ人入植者とアメリカ先住民の対立は、「4世紀にわたる戦争」であり、「インディアンがしばしば勝利した」と彼は書く。
『先住民の大陸』は、著名な歴史学者からの推薦も得ており、ニューヨークタイムズ誌のベストセラー『1619プロジェクト』や、デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローの『あらゆるものの夜明け:新たな人類史』のような、既存のパラダイムを打ち破る本となることを目指している。
ジョージア大学の歴史学者であるクラウディオ・サントは、「ペッカは、初期アメリカ史のグランドナラティブの再構成に挑戦している、小規模であるが、現在大きくなりつつある研究者グループの一人である」とEメールで教えてくれた。そして、サントによれば、多くの読者にとって、「最も驚くべき発見は、一見して決着したかと思われる大陸の征服が、決してそうではなかったことであろう」と言う。
それでも、ハマライネンの大胆な主張は、証拠、解釈、強調点をめぐって議論を巻き起こす可能性が高い。そして、この本の背後には、もう一つの危うい問題が横たわっている。誰が、どのように先住民のアメリカの物語を書くべきなのであろうか?
一見したところ、オックスフォード大学で教鞭をとるフィンランド人学者は、その候補者らしくないように見える。先月、ヘルシンキ郊外の別荘からビデオインタビューを受けたハマライネン氏(55)は、多くの人と同じように、幼少期に本や映画で初めてアメリカ先住民に出会ったことを語った。彼は、何かがおかしいと感じたという。
「西部劇はアメリカ先住民を描くときに、とても恐ろしく描くのです」「ここで何が起こっているのだろうか不思議でした」と語る。
彼の最初の著書『コマンチ帝国』は、1750年頃から1850年頃まで南西部を支配していた(20世紀の大半においてハリウッドの西部劇に登場する)が、比較的研究されていなかった遊牧民集団について、膨大な調査に基づく驚くべき新解釈を提示した。2009年に出版されたこの本は、高い評価を得るとともに、専門の歴史家に贈られる最も権威ある賞の一つであるバンクロフト賞をはじめ、数々の賞を受賞した。当時、ハマライネンは、いわゆる「ニューインディアンヒストリー」を生み出している学者たちの一人であった。以後、この分野は爆発的に広がり続けている。
特に植民地時代のアメリカに関しては、アメリカ先住民をアクターとすること、また問いとすることがますます研究に織り込まれるようになっている。今日では、初期アメリカの歴史家は、ヨーロッパ人入植者と先住民との複雑な交流・交渉に焦点を当てると同時に、初期のヨーロッパ系アメリカ人の歴史叙述において、いかに先住民のコミュニティが叙述から排除され、「消えゆく」インディアンという神話が作り上げられたかを論じている。
このように先住民の歴史が主流となっていくことには、論争がないわけではない。近年では、知に関する西洋的様式と先住民的様式の対立の妥当性について、また歴史家が現代の先住民コミュニティと協議する義務があるかどうかについて、激しい論争が起こっている。
ラトガース大学の歴史学者でラコタ/ダコタ出身のジェームソン・スウィートは、「あらゆるバックグラウンドの人々が先住民の歴史を書くことができる」とする。しかし、彼はまた、1960年代と70年代の「レッド・パワー」運動から発展した「先住民研究」の幅広い分野が有している政治的な意義についても重視する。「私たちはこの分野を定着させようとしているのです」とスイートは言う。「これは先住民を顕微鏡の下に置くのことではありません。むしろ主権を保持するといった目標に向かって活動することで、人々を教育することなのです」と付け加える。
ハマライネンは、彼の意図とは別かもしれないが、しばしば高度に専門的な膨大な学術文献を統合しつつ、緻密なアプローチを取る(70ページ以上に及ぶ膨大な脚注に「死にそうになった」と彼は言う)。
本書の読者は、ボストン大虐殺や合衆国憲法といったおなじみの出来事にはほとんど出会わない。また本書では条約や法律に関する分析もあまり行われていない。その代わり、重要なテキストは地図(先住民とヨーロッパ人の両方)である。ハマライネンは、地図は、19世紀になっても「圧倒的で根強い先住民のパワー」によって支配された広大な大陸に対する植民地支配権がいかに脆弱であったかを示していると主張する。
ハマライネンは、ラコタとコマンチに関するこれまでの著書から、馬上での戦いの蹄鉄を打つような描写を含む、多くの材料を用いている。同時に本書では、北東部、ヴァジニア、フロリダ、中西部の先住民に関する研究を綜合している。そして例えばイロコイ(またはHaudenosaunee)連合については、「合衆国よりも歴史的に古く、中心的な存在」と表現するのだ。
ハマライネンは、特に17世紀末の「喪の戦争mourning war」に衝撃を受けたと言う。近年では、複数の学者によって、この戦争は、毛皮貿易のシェアを拡大するためではなく、ヨーロッパ人との接触による天然痘の破壊から立ち直ることを目的として開始されたと考えられている。Haudenosauneeは近隣の部族を攻撃し、ある部族は吸収し、また別の部族は西部へと押し出している。このことをハマライネンは「初期アメリカ史における最初の大規模な西部拡大」と挑発的に呼ぶのである。「一見、盲目的な暴力のように見えます」「しかし、そうではありません。これはスピリチュアルな暴力なのです。そして犠牲者の多くはイロコイの構成員となったのです。イロコイは他の部族をイロコイにするために戦争をしたのです」。
先住民とヨーロッパ人との対立について、ハマライネンは、植民者による暴力的な攻撃は、強さではなく弱さのあらわれであると繰り返し主張している。1890年にウーンデッドニーで約300人のラコタが虐殺されたことさえ、「アメリカの弱さと恐怖のあらわれであった」と彼は断言する。
こうした主張は、大げさであったり、極端に軍事的な対決にフォーカスして(※他の面を矮小化して)いると感じる人もいるかもしれない。『ウォールストリート・ジャーナル』紙の書評で、歴史家のキャサリーン・デュヴァルは、ハマライネンが先住民の歴史を「先住民の男性がヨーロッパ系アメリカ人の男性と戦うという壮大な物語」に仕立て上げ、先住民の行動が女性によって維持されている親族ネットワークに組み込まれていたことについてほとんど触れていないことに疑問を呈している。
そして、1890年代であっけなく幕を閉じた「先住民の大陸」は、大きな疑問を残したままである。この歴史は現在とどのようにつながっているのだろうか?
この問題は、現在、他の研究者がより正面から取り組んでいる。来春出版予定の、同じく圧倒的な統合的歴史書である『アメリカの再発見:先住民とアメリカ史の解体The Rediscovery of America: Native People and the Unmaking of U. S. History』において、イェール大学の歴史学者ネッド・ブラックホーク(ウエスタンショーショーニ)は、物語を21世紀へと延長するとともに、おなじみの歴史的エピソードをひっくり返している (ある章では、ブラックホークが言う「アメリカ独立の先住民的起源」が語られている)。『先住民の大陸』の草稿を読んだブラックホークは、ハマライネンについて「アメリカ初期西部史の重要な歴史家である。そして彼は誰よりも騎馬技術の問題を研究している」と論じる。「ただ、この本が行なっている通時代的な叙述は、あくまで限定されたものに過ぎない」「特に、アメリカ先住民の主権と生活の中心である法律や政策に関する多くのことをしばしば等関視している」とブラックホークは言う。
『先住民の大陸』はもう一つ、物議を醸しそうな概念を使っている。「帝国」である。ハマライネンはコマンチとラコタに関する著書で、これらの部族国家を、「準植民地主義」とでも言えそうな、他の先住民を押しのけ、しばしばヨーロッパ人入植者すら支配したアグレッシブな拡張主義勢力として特徴づけている。
2020年に『ラコタ・アメリカ』が登場したとき、一部のラコタの学者は、ヨーロッパの征服と道徳的に同等としている、あるいはヨーロッパの征服を正当化しているとして、「帝国」という枠組みに異議を唱えた。ラトガース大学のスウィート教授は、The Journal of the Early Republicの書評で、「ヨーロッパ人のセトラーコロニアリズムに対して無罪放免を与える感じがする」と述べている。
「セトラーコロニアリズム」は、ここのところ、先住民研究そしてそれ以外の分野でも、(論争があるにせよ)広く浸透してきた概念である。しかし『先住民の大陸』にはほとんど登場しない。
「セトラーコロニアリズムはもちろん起こったことだ」とハマライネンは言う。だが「この用語は少し不用意に使われることがある」。歴史家は、すべてをこの題目の下に置くのではなく、「先住民のコミュニティが対面し、対応せねばならなかった幅の広い植民地的関係により注意を払わならなければならない」と述べる。
帝国という言葉については、そのような「(ヨーロッパ帝国と)共振する力の構造」が異なる時代や場所でどのように発生したかを考えることは、「道徳的に同等だとすることとは同じではない」と言う。
今日、北米には500を超える先住民ネーションが存在する。エピローグでは、オジブワの作家デービッド・トリューの主張が引用されている。1776年以降、ある意味でアメリカは「よりインディアンに」なったのであって、それ以下ではない、と。
「すべてはこの400年にわたる戦争を振り返るところに始まる」とハマライネンは言う。そして持続的な先住民の抵抗の力にも。「読者には、この歴史の重みを、「先住民の変化する力、そして戦う力」とともに理解してほしい」。